1967年の創業以来、生活する上で欠かせない「食」に関れてきたことは、この上ない喜びと感じています。振り返ると私は、北岸冷凍合資会社を立ち上げる前から「食」一筋に歩んでまいりました。私は上原家の長男として喜界島で生まれ、小学校6年生の時に漁師の街で知られる沖縄県糸満に移ってきました。戦後間もない当時、毎朝3時に起きて近所のかまぼこ工場に出かけ、かまぼこを自転車の荷台に積み、コザ(現在の沖縄市)あたりまで配達をしていました。食糧の乏しい時代にあって、私の朝食替わりでもあったできたてのかまぼこの味は今でも忘れられません。両親は、現在の糸満ロータリー付近でマチャーグワー(小さな売店)を営んでいました。「新幸地売店」です。缶詰めや米、そして、豚の飼料としてバラカス(大豆の搾りかす)などを販売していました。当時はどこの家でも豚を飼っていましたので、このバラカスがよく売れました。私は長男でウーマクーだったこともあり、両親は「早くから社会に出そう」と、15歳のときには丁稚奉公として那覇に出されました。その後、17歳には米の卸業として独立し、南部一帯をまわりお米を卸していた時期もありました。